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初代 村田 正雄(しょだい むらた まさお、天保暦 明治4年2月4日 / グレゴリオ暦 1871年3月25日 - 1925年6月7日〔村田正雄〈初代〉 、『講談社 日本人名大辞典』、講談社、コトバンク、2010年1月5日閲覧。〕)は、日本の俳優である。本名は村田 又彦(むらた またひこ)、俳号は村田 芳泉(むらた ほうせん)。 == 人物・来歴 == グレゴリオ暦 1871年3月25日(天保暦 明治4年2月4日)、東京府東京市(現在の東京都)に「村田又彦」として生まれる〔。 横浜貿易商組合立横浜商業学校(現在の横浜市立大学商学部)を卒業する〔。1895年(明治28年)ごろの24歳のとき、横浜・港座で『色と慾二股桜』に出演して初舞台を踏む〔〔村田正雄 、『美術人名辞典』、思文閣、コトバンク、2010年1月5日閲覧。〕。舞踊については森間藤蔵を師とし、義太夫については鶴沢友次郎に学んでいる〔。 1901年(明治34年)、高堂国典が村田の門下となる。1902年(明治35年)、福井茂兵衛の京都・南座での改良演劇に参加する。のちに伊井蓉峰を主宰とする「伊井容峰一座」の組織に尽力〔、同劇団では脇役に徹し、重厚な役柄を演じた〔。 満39歳を迎える1910年(明治43年)前後、東京の吉沢商店の目黒撮影所が製作する映画に出演、多くに主演した〔村田正雄、日本映画データベース、2010年1月5日閲覧。〕。同社は1912年(大正元年)に他の3社と合併して日活となり、1913年(大正2年)10月に日活向島撮影所を開所すると、村田は藤沢浅二郎とともに『八重欅』に出演した〔八重欅 、日本映画データベース、2010年1月5日閲覧。〕。1917年(大正6年)には、山川吉太郎が経営する山川興行部で主演、同年、山川が小林喜三郎とともに設立した天然色活動写真(天活)の大阪撮影所製作の映画に主演した〔。この年、村田の一座に女形の明石緑郎が入門している〔『芸能人物事典 明治大正昭和』、日外アソシエーツ、1998年、「明石緑郎」の項。〕。 1925年(大正14年)6月7日、死去した〔。満54歳没。最後の舞台は『金色夜叉』であった〔。村田の没後、甥に当たる村田高一が名跡を継ぎ、「二代目村田正雄」を襲名した〔。第二次世界大戦後、特撮等で知られるのは二代目である。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「村田正雄 (初代)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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